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デーニーとブルースがくれた新記録

続・ギネスブック・イギリス1周低燃費記録に挑戦して

CG94年1月号記事

"行動する熊本のお医者さん"宮野滋さんは、60年代のグランプリ界に非常に知己が多いその思い入れの深さから、数々のメモリアルイベントをオーガナイスしてきたことは読者の皆さんもご存知だろうが、いっぽうでは燃費のギネスブック挑戦に並々ならぬ熱意を持って取り組んでいることでも有名た。シビックでの挑戦記は本誌92年11月号でも報じたが、つい最近その記録を更新したという連絡が入ったので、その全容を紹介しよう。

■デニーが死んだ?

 92年6月、イギリスの海岸線に沿った指定コースをシビックETiで一周し、6075kmを走って平均燃費27.93km/Lのガソリンエンジン・クラスの新記録を作ったことは、CGでお読みになった方もいらっしゃるだろう。本になった自分の記事を初めて目にしたちょうどその時だった。古くからの友人であり、燃費のギネスブック記録にともに挑んだデニス・バルムがバサースト1000kmレースでBMW・M3を運転中に心臓発作で死亡したというニュースを受け取ったのは!とても信じられなかったが、何はともあれデニーの墓参りをしなければ、の一心で、インフルエンザの大流行が一段落すると(編集部註:著者の本業は小児科医)、私はニュージーランドヘ向けて機中の人となった。今回の燃費挑戦は実はデニーの死が事の始まりだったニュージーランドではクリス・エイモンをはじめとして、デニーゆかりのいろいろな人たちに会うことができた。もちろん、グレータ・ハルム夫人や母親のローナさんに案内されてデニーの墓参りには真っ先に行った。また、昔マクラーレンのマネジャーをやっていたフィル・カーも訪ねただが、最大の収穫は、「ニュージーランド・カー」という雑誌の編集長を務めるドン・アンダーソンに連れられて、ブルース・マクラーレンの母親ルースさんの自宅に行った時のことだそこには、ダグ・ナイの著者『チーム・マクラーレンの全て』(CBSソニー刊)を読んで知り得たブルース・マクラーレンの数々のレースでのカップや興味深い写真が多数保管されていた。ブルースの遺児アマンダにも会った。70年にブルースが事故死した時にはわずか4歳の少女だったが、立派に成長したアマンダは父親そっくりだった。92年6月2日にグッドウッド・サーキットでブルース・マクラーレンのメモリアルイベントを主催した私を、ブルースの家族や友人たちは非常に歓待してくれたのだ。話はそれから盛り上がり、その席で今度はブルースやデニーの友人や家族を中心に、ギネスブックのイギリス1周の低燃費記録にもう一度挑戦してみようということになった。実は、92年の挑戦でホンダが用意してくれた2台のシビックETiは広報車両として使われた車で、パワーステアリングやエアコンがフル装備されており、ギリギリの記録を追求するにふさわしいとはいえなかった。2名または3名乗車そして無鉛レギュラーを使用して出した27.93km/Lという記録は、充分に改善の余地を残していたのだパワーステアリングもエアコンも付かないETiに1名乗車で無鉛ハイオクを使用すれば、イギリス1周6000km余りで30km/Lを超えるのは充分可能なのだ。つまり200Lを切ればギネスの記録更新あなたもギネスブックの記録保持者というわけだ。デニーの娘のアデルも参加することになった挑戦の時期は、グレアム・ヒルのメモリアルをやろうとしていたブリティッシュGPが終わった後の7月14日にブライトンを出発というところまで決まった7月は、南半球では冬休みとなるので学生のアデルも学校を休まずにイギリスに行けるし、アマンダも12月に結婚することになっているイギリス人の婚約者に会えるので、渡りに船ならぬ飛行機のチケットというわけだドン・アンダーソンに女性モータージャーナリストのサンディ・ミアーさんも加わって4羽のキーウィがイギリスヘ遠征することが決まった

■貸し出しノー?ならば自ら購入して

 日本へ帰国してから企画書をホンダヘ提出したが、返ってきた答えは、円高と国内市場の低迷により今回はホンダとして車両の貸与も含めて支援ができないというものだった。一度約束したことを、ホンダが援助できないからといって「できませんでした」というのでは九州男児の沽券にかかわる。ならば、シビックの1台くらい自費で買ってイギリスまで送ってやろうじゃないかと決断し、熊本のホンダ・ディーラーにパワステなしエアコンなしのシビックETiを1台発注した。自分の車なら、色も好みでブルースとデニーがコンビを組んで走っていた頃のパパイヤオレンジに全塗装することもできる。ところが、生産台数の少ないETiでも、注文可能とはいえパワステもエアコンもない一番シンプルな仕様は、生産スケジュールの都合で通常のETiより納期が遅れるという。船積みのスケジュールからしてゴールデンウイーク前に納車されなければ7月には間に合わない。果たして熊本のディーラーに車が届いたのが5月半ば、塗装業者に出してパパイヤオレンジに塗り上がったのが5月28日だった。こうなれぱ7月の挑戦は無理で、気候的に挑戦の限度となる9月下旬まで延期せざるを得ない。10月になれば雨の日が多くなり、スコットランドの北部には雪も降り始める。その前に敢行しなければ来年まで延期せねばならぬ。この時期に大事な試験を控えているアデル・ハルムは参加できず、代わりに、ドンの妻のリンが参加することになった。

 納車されたシビックETiの慣らし運転と燃費テストを始めてみたが、昼間は本業の開業医の仕事があり、距離を伸ばすのはCGのテストほどにははかどらない。自宅からクリニックまでの通勤に加えて、休日は普段やらない家族サービスも兼ねて高速道路を使ってのロングドライブ、それに交通量が少なくてイギリスの道路に似た天草島1周の約300kmの夜間ドライブテストを敢行したりもした。この夜間テストでは、2回とも30km/L前後の結果が出た。渋滞を含む日常の通勤でも20km/Lを超える数字が出た。渋滞での燃費を10km/Lとして計算すると、渋滞を除いた区間の燃費は30km/Lに近い数字が算出された。これなら新記録の達成は間違いない。テスト結果は、毎週ファックスでニューランドとイギリスヘ送った。

 92年はドライバーとして参加したイギリスのホンダS800クラブ会長のジョン・ハウイが、今回はもう齢だからとドライバーを辞退して、手間のかかるマネージメントの仕事を引き受けてくれた。ジョンと私は、この時ギネス挑戦とグレアム・ヒルのメモリアルというふたつの大事業に取り組んでいたのだった。昨年より経済状況は悪く、スポンサーを獲得するのは困難だったが、マイクロロン・ジャパンからは今回も援助をいただいた。テフロン系のオイル添加剤であるマイクロロンをエンジン・オイルとミッション・オイルに添加して慣らし運転を続けた。昨年は出走直前に添加したが、今回は充分に余裕を持ってマイクロロン処理を施した。

 こうして準備万端整ったパパイヤオレンジのETiは7月14日に博多港を出港し、イギリスヘと向かった。

■目標は高く

 いまやグレアム・ヒルの娘というよりデイモンの妹といったほうが通りが早いサマンサ・ヒルがドライバーとして加わるという話もあったが、諸般の事情によりそれは叶わなかった。サマンサに限らず、ドライバーの人選は難しい作業である。昨年は日本人5名、イギリス人2名、ドイツ人1名、ニュージーランド人1名(デニー)という全員男性のチーム構成だったが、今年は日本人は私ひとり、しかも、他のドライバーは全員未経験者で構成せざるを得なかった。しかしチームとしては3回目で、オーガナイスのノウハウの蓄積は充分であり、今回はジョンが自宅でコントロールセンターをやってくれる"キーウィ"のほかはオランダのS800クラブのシュミット夫妻、私の妻の甥でフランス人のフランクが参加する。約束していたロンドンの消防士フィルは、仕事中に足を捻挫してフル出場は無理とのこと。となると5名ずつのA/B、2チームを走らせるのは難しいそこで1チームを4名にして2チームで8名。これにイギリスのホンダ・ドライバーズ・クラブからの4名とフィルを加えたCチーム5名が、最後の1000kmを担当して、全員がドーバー近くのホテルに集合することに決まった。女性が4名も加わるので、チーム名も"MadScientist&Crazy Guys+Naughty Ladies"となり、チームのロゴマークも少し変えた。ダンロップ・タイヤから提供してもらったジャケットにそれぞれのドライバーの国旗のワッペンを貼ったりステッカーを発注したりと、裏方の仕事も大変だ。

 シビックのイギリスでの通関手続きも済み、ジョンがイギリスでの慣らし運転と燃費テストの結果を知らせてきたのは、9月に入ってからであった。結果は上々。テストしている自分自身信じられないほどの好燃費だという。省燃費を心がけない普段どおりの運転パターンでも好燃費が得られている。日本の自動車雑誌で、ETiの長期テストをやったが思ったほどには燃費が伸びないというのは、交通事情がかなりの影響を与えているのだろう。東京の渋滞の中では、ホンダのVTEC-Eも宝の持ち腐れだろうが、交通事情が良ければ30〜40%の燃費改善ができる。もし全部の車をVTEC-Eエンジンの車に置き換えれば、石油消費量はかなり節約できるだろう希薄燃焼方式ではNOxが増える点が問題となったが、マツダが開発したような新型触媒で、これは解決可能だろう触媒付きのディーゼルエンジン車も最近登場してきたが、NOxの総量やパティキュレートの問題を解決するには道はまだ遠い。サーブのトリオニックシステムのようにほとんど無公害の排気ガスに到達するには、ガソリンエンジンのほうが有利だと思う。ガソリンと軽油の価格差は税制で生まれるのであり、あとは燃費の差をいかに縮めるかで、ディーゼルエンジンをよりクリーンなガソリンエンジンに置き換えていくのは可能なはずだ。これが、私とジョンが追求しているテーマである。

■いよいよ出発だ

 9月16日、福岡発の大韓航空でロンドンヘ飛んだ。消防士のフィルが、ホンダUKからサポートカーとして借りたアコード・ワゴンで迎えに来てくれた。足の調子は今いちだが、歩くには支障がなさそうだ。ロンドンのホテルで1泊し、翌17日にはロンドンの北、エンフィールドにあるギネスブックの編集部を訪ねた。世界的ベストセラーを出版している会社とは思えない規模のオフィスだったが、ここでジョン・ハウイ、パティ・マクラーレン夫人、アマンダと再会した。ブルース・マクラーレンは1959年シーズンの最終戦、セブリングでのUSGPで優勝、この時、彼は22歳と104日で、F1GP優勝の最年少記録を作った。この記録はその後誰にも破られずにギネスブックに載っているが、本人も家族もまだ認定証を受け取っていない。それでは編集長、発行して下さいと頼んで、授与が行なわれることになったのだ。グレアム・ヒルに対しても、F1チャンピオンとインディー500とルマン24時間レースを制したモータースポーツ史上唯一のドライバーとして認定証が用意されていたのだが、あいにくこの日はデイモン・ヒルの誕生日なので出席できない旨の手紙がヒル夫人のベットさんからジョンの元に寄せられていた。郵送されることになった認定証は、デイモンヘの誕生日のプレゼントとしては最高のものになっただろう。 ブライトンのホテルで全員集合、チーム構成を検討する。夫婦関係や希望、国籍等を考慮して決めた。私は甥っ子のフランクと一緒に走りたかったが、ふたりのプロフェッショナルがいるチームAに預けることにした。チームAは、ドン&リン・アンダーソンにサンディの3人のニュージーランド人とフランク。チームBが、私とアマンダ・マクラーレン、ヤン&リア・シュミットと男女各2名ずつのチームになった。昨年はチームAとして走ったので、今回私はウェールズとスコットランドを走るチームBを選択した。今回はチームCも走るのでチームAは3000km、チームBは2000kmを担当する。

 18日朝、ブライトンのシンボルともなっているパレスピアの前に集合したわれわれは、ブライトン市長のデイヴィド・レパーさんから出発証明書に署名をもらい、10時15分に出発した。海岸通りを少し走ったところにある一番近いスタンドでシビックの燃料タンクを満タンにする。ここで注意しなければいけないのが、シビックのタンクは満タンにしたと思ってもボディを揺すってやるとさらに2Lほど入るということだ。こうやらないと正確な燃費が出ない。

■意外なロスタイム

 ブライトンからワージングの町はずれまで、チームAとBはいっしょに走った。最低25ヵ所のチェックポイントを設けて、通過した証明をもらわなけれぱならないが、第1番目のチェックポイントに選んだのが、ホンダのディーラーを営む傍らミニを扱うジョン・クーパー・ガレージだった。あのジョン・クーパーはいまも健在で、われわれを待ち受けてくれた。実は、58年にブルース・マクラーレンは、ニュージーランドからイギリスヘ渡った時、ジャック・ブラバムの紹介でチーム・クーパーのF2チームに入った。その時のF2チームのマネジャーはケン・ティレルだった。初めてのレースから活躍したブルースは、翌59年にはジャック・ブラバムのNo.2ドライバーとしてF1チームに抜擢され、最終戦で優勝したという歴史がある。そのジョン・クーパーを父ブルースにそっくりな顔のアマンダが訪ねたというわけである。このふたりが最後に会ったのは、まだアマンダが小さな頃で、20年近い時を隔てての再会というわけであるクーパーさんは歓迎してくれて、裏のファクトリーを案内してくれたり、ブルースが活躍していた頃の写真の説明をしてくれたりしたが、120時間から180時間でイギリスを1周しなければならないわれわれはそうもしていられず、チームAをそこに残し、チームBは先を急いだ。ギネスブックの指定コースをたどって行くのに最も注意しなければならないのが、大きな町の中で次の町の名前や国道の番号をうまく見つけないと迷ってしまうということだ。われわれもサザンプトンで迷ってしまい、いつのまにか別の方向へ向かっていた。こんな時はサザンプトンヘ戻るのではなく、一番近い指定コースの町か国道へ向かうのが良い。こんなミスコースでも、ログブックに正直に書き入れなければならない。思わぬ時間を食ったわれわれチームBは、一刻も早くチームAに車を引き渡すべくタイマスヘ向けて急いだ。

 19時を過ぎると暗くなってくる。夏至の頃ならもっと遅くまで明るいのだが、道路標識や町の名前を示す看板も読みづらい。ようやくタイマスに着いて海岸際のホテルを探し出したのが22時過ぎ、チームAを送り出し、夕食にありつけたのは23時過ぎだった。

■フユーエルカットも時には怖い

 翌朝はアコード・ワゴンで先回りしてマインヘッドの町でチームAを待つが、予定の時間を過ぎてもチームAは到着しない。ジョン・クーパー・ガレージで時間を食い過ぎ、途中の食事で時間を取られたのも原因らしい。結局、3時間近く遅れてチームAが到着。徹夜で走ったリンとサンディは完壁に疲れ切っていた。700km弱でこれなら1000kmのエコランではどうなることやら。ここまで1000km+αを走っても燃料計の針は余裕を見せている。少し走ったところで1回目の給油。1016.7kmを走って39.63Lを消費。平均燃費25.65km/L。昨年の区間記録より悪い結果だが、まだまだこれからだ。

 夜になってウェールズに入った。ここではイングリッシュというよりゲール語とかケルト語が主だ。地名の表示もどう読んでいいのかわからない。ついにスウォンジーという町で道に迷ってしまった。日も暮れて道を聞こうにも歩いている人間が少ない。そういえば、5年前に挑戦した時も迷った記憶があるグルグルと町の中を回って、ようやくスウォンジーの町を抜け出た〔教訓:大きな町で迷わぬためには地元の人間がナビをやるか、あらかじめレッキをやっておく必要がある〕。天候が悪化して雨や霧が出てくる。昨年は天気に恵まれ雨は最後の日だけだったが、今年は天気にもついていない100km毎に交代しながら走り続けるわれわれチームBのチームワークは最高だった。特にアマンダは性格抜群、ユーモアのセンスもあるし、どんなところでも眠れるというのは父親譲りの特技だし、ドライビングの才能も素晴らしい。ヤンとリアもタフに運転をこなしてくれた。われわれチームBは、1000km/24時間というぺ一スを守って走り続けた。

 夜が明けると、われわれはウェールズの雄大な景色の中を走っていた。アコードの燃料警告ランプが付いてガソリンスタンドを探した。500km+αがアコードの航続距離だが、シビックのほうは針がゲージの半分も指していない。3人十4人分の荷物を積んだアコードの燃費は11km/Lだった。こちらも5段マニュアルなのだが……。

 ウェールズの海岸線に沿って走ったアップダウンのきつい道は雨が上がってもウェットの状態が続いた。下りでは、3・4・5速でフユーエルカットが効くので、前輪に駆動トルクが掛からず、その先のカーブに入るとスピードが充分に落ちていないため怖い思いもした。この時は幸いに立て直すことができたが、もしこの時履いていたのがSP23Jだったら4輪とも滑って石垣にドカンといっていたかもしれない。SP23Jを履いているシビックのオーナーへ。ウェットグリップの安全性が不安なら、すぐSP20に履き換えることをお薦めしたい。

■あるひとつの賭け

ウェールズからインクランドヘ入る。ウォラジーで一泊。翌日はモーターウェイを使ってスコットランドヘと北上、ダンバートン(ジャッキー・スチュワートの生まれ故郷)より少し北に位置するアロカーのB&B(ベッド&ブレックファスト)でチームAを待つ。ここは湖の前の素敵な民宿だ。夕食を済ませてチームAを待つが、なかなか到着しない。ここから北は過疎地域で、夜間開いているガソリンスタンドは実に稀なのだ。私はジョンに電話して、もしチームAから連絡があれば、ここに到着する前にダンバートンの町でシビックに給油するように指示して欲しいと頼んだ。1000kmを走ったシビックが、ここへ無給油で到着し、バトンタッチした我々が、朝まで走ったら、ガス欠で止まるか、どこかのスタンドが開くのを待つかのどちらかだ。例によってアマンダはベッドで眠りについているし、ヤンと相談した結果、とにかく我々ののアコードも満タンにしておく必要があるので、ホテルで待っている間にダンバートンの町まで戻ってアコードに給油し、緊急用の5Lポリタンクにシビック用のガソリンを詰めておくしか手はないということになった。待ちくたびれた午前1時過ぎ、チームAが到着。案の定シビックは無給油のままだ。しかし、ゲージの針を信じるならあと10Lは残っていそうだった。朝までガソリンがもつかドラマが起こるか、運を天にまかせてチームBは出発した。幸いなこと60kmほど走ったところで24時間営業のガソリンスタンドを見つけて給油できた。ここまで3000km+αを走り、燃費は29km/L台に向上してきた。

■絶大な自然に圧倒

 スコットランドの風景は文章で表現するのが難しいほどに雄大である。氷河の浸食によってできた湖やフィヨルドのそばをギネスの指定コースは走っている。森林限界線を越えて低い草木しか生息できない荒野の中を通る、片側通行しかできないほどの細い道をドライブして行く時の感動は、日本人の私や、オランダ人のヤンとリアにとってまさに筆舌に尽くし難い。天候に恵まれ、抜けるような青空の下で、私たちはエコノミードライブを楽しんだ。大ブリテン島の最北端であるジョン・オグローツ岬に近づく頃には日が暮れてきた。ここの緯度はノルウェーのオスロほどもあり、夏至の頃には白夜を体験できるが、秋分の今は北の寒さが厳しい。ジョン・オグローツのホテルで夕食を取り、証拠写真を撮りっこした後、ネッシーで有名なネス湖の北の町インヴァネスを目指す。もうナビゲーションに神経を集中する必要はないA9号線を

一直線に走るだけだ。道の両側には野兎の団地が在るのではないかと思うくらい野兎だらけで、道には蒙死した野兎の死体が点々と横たわっている。昨年のチームBは鹿とぶつかりそうになったというが、それほど自然が濃い。時間に縛られての燃費チャレンジではなく、釣りでもしながらスコットランドを旅行したいものである。

 0時を過ぎてインヴァネスの町へ入る。まず24時間営業のスタンドを探して給油をする。951kmを走って31.20L、30.64km/Lであった。待ち合わせのB&BでチームAにシビックを引き渡せばわれわれチームBの役目は終わりだ。

 昨年チームBは、インヴァネスで1泊してからチームAを追って南下し、約8時間もかかって待ち合わせの場所へと辿り着いた。そこから24時間1000・のエコランをやるのは、肉体的にも精神的にもきつすぎたので、今回はイギリス人5名によるチームCがその役を負う。

 インヴァネスをたった後はモーターウェイに乗って一路南下を続ける。競馬で有名なダービーの町の近郊のホテルに着いた時には0時を回っていた。途中でジョンに電話を入れたら、チームAの2台がニューキャッスルの町の申ではぐれてしまったという。まあ何とかなるだろう、ドラマはあっても事故がなければそれでよい。

■ミュージアムに見る"男と女のちがい"

 翌朝、ホテルをたったわれわれは、ドニントンパークヘ直行した。ここのミュージアムを訪れるのが今日のメインテーマなのだ。トム・ウィートクロフトが集めたF1マシーンのコレクションには圧倒される。GPの歴史を彩ったF1マシーンが、ドライバーやメイグスごとのコーナーに展示されているが、これだけの数になると、どこのコーナーにも属さないマシーンも数多くある他のミュージアムであれば、展示の目玉になりそうなマシーンが雑然と並べられているのである目当てはデニーとブルースにゆかりのマシーンだ扉を入ったところに、パパイヤオレンジに塗られたマクラーレンのカンナム・マシーンがあったリアウィングの形状からすれば70年のM8Dだが、フロントの形状は69年のM8Aのようだ。考証の誤りか、まさか70年6月2日の悲劇の際、M8Dの1号車はこんな形をしていたのだろうか失敗作といわれた4WDのF1、M9Aを含めてパパイヤオレンジのマクラーレンは4台。その他にもマクラーレンの歴史を辿るのに必要なマシーンは、ほとんどが揃っているあまりに多すぎて全展示車を確認することはできなかったが、その中からブルースに関するマシーンを見つけた。62年のモナコGPにブルース・マクラーレンが優勝した時のクーパーT60が展示されていた。アマンダをそばに立たせて記念写真を撮った。その他にもいろいろ撮影をしているとアマンダが呼びにきた。ふたりの女性はそろそろ限界にきたようだ。ヤンは売店で本やビデオを漁っている。今度来る時は女性抜きで来よう。

■揺すらなければよかった?

 正午過ぎにここをたち、夕刻にニューロムニーの待ち合わせのホテルに辿り着く。ジョンもすでに到着していた。昨夜、チームAから無事にチームCにバトンタッチしたと連絡が入ったそうだ。後はこのホテルに全員が集合し、最後のディナーで祝杯をあげ、明朝ブライトンヘ向けて最後の98kmを走るだけである。このブルードルフィンという小さなホテルは1507年の建築だそうで、全体がアンチィックな雰囲気だ。家族ぐるみのサービスも心地よいし、イギリスでは珍しく料理もうまい。次回のギネス挑戦にも使いたいと思った。シャワーを浴びてビールを飲んでいるところヘチームAが到着。チームCからも電話が入り、順調にエコランを続けているが、到着は0時過ぎになるとのこと。チームA&Bだけでディナーを始め、旅の苦労話を交換しあった。インヴァネスまでのガソリン消費量の合計で、新記録が出ることは99%確実だったので、皆がリラックスして話もはずんだ。そうこうしていると、午前1時を過ぎてようやくチームCが到着。ログブックのチェックや、ドーバーまでの燃費を計算してようやく眠りにつくことができた。

 最終日となった10月25日朝、私がシビックのハンドルを握って出発。ブライトンヘと向かう。この道を走るのも3回目、アコードの後を追いながらさまざまな思い出が頭をかすめていった。12時10分、ブライトンのパレスピア前に到着。助役のシンプソン女史の出迎えを受け、到着の証明書にサインをもらう。169時間55分で大ブリテン島を1周した! ノンアルコールのシャンパンをシビックに振りかけ、チーム全員揃っての写真撮影と喜びにうかれる。アマンダも婚約者のギャリーが迎えに来ていて幸せいっぱいの様子だだがまだ最終の給油と燃費の計算が残っている。最初に給油したスタンドまで全員で行き、最後の給油を行なった。給油ポンプはすぐに満タンを示して止まったが、ここでボディを揺すってからさらに注ぐ。少しガソリンがこほれるほどたっぷり入れて終了。ここまでの合計を計算すると、残念ながら200Lをわずか860cc超えたことがわかったボディを揺すらずにおけば200L以下になっただろうが、ここは紳士の国のイギリスである。最後までフェアにやらなければ!

■挑戦、待ってます

 6111kmを走って平均燃費は30.42km/L(=85.95mpg)というのが最終結果だったCG92年11月号にシビックでも30km/Lを超えることは可能だと書いたが、そのとおりになった。

 5年前、トヨタS800とスターレット・ディーゼルで初挑戦した時、直前に出されたフォード・フィエスタ・ディーゼルの30.16km/Lは、われわれには高い高い壁に見えた。この記録を、5代目となって大きくなり過ぎたシビックがガソリンエンジンで超えたのだ。テクノロジーの進歩は驚異的だ。もしこのエンジンを軽い初代シビックのSB-1に載せたらどれだけの記録を出すだろう。今のシティでもよい。モデルチェンジを繰り返すたびに大きく重くなっていったこれまでの日本車は、そろそろ考え直す時期に来ているのではないだろうか。希薄燃焼方式は、燃費改善のテクノロジーとしては第一世代といえる。その次に来るのは新世代2ストローク・エンジンだと私は考えている。9月29日クリントン大統領は、アメリカの3大自動車メーカーと政府が協力して今後10年以内にアメリカ製自動車の燃費を現行水準値の3倍に向上させる「クリーンカー技術研究開発計画」を発表した。ならば、ぜひわれわれの記録に挑戦して欲しい。われわれが記録挑戦を請け負ってもよい。ギネスブックのタイトルは単純明解な基準である。誰でも7日間の時間が取れれば楽しみながら(?)挑戦できるし、新記録が出なくても自分とその車の実力がどれほどかがわかるもしわれわれの記録が破られれば、もっと燃費の良い車を選んで挑戦したい。次なる「Mad Scientist&Crazy Guys+Naughty Ladies」はどんなメンバーになるのか、これも楽しみである。すでにあるビッグネームには声をかけて内諾も取っている。何年か後の挑戦には、バイクでの記録も作ってみたい。今回のイギリスでおもしろいバイクを見つけたのだ。ところが私自身はバイクの免許を持っていない。バイクの免許も持って英語が話せてという基準をクリアすれば、国籍も性別も間わない。意気投合して挑戦に参加できる人材を求めたい。シビックは、カルネを付けてイギリスに持ち込んだので日本に持ち帰る義務があるが、その前に満タンでどれだけ走れるかという記録を作ってみたいヨーロッパのテストコースか、オーストラリアの平坦な公道を走らせれば、45Lで1800km近くは走れるのではないだろうか。目指すは40km/Lである。(report&photo 宮野 滋〕

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