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History 88

このコーナーは、CGグラフィックスに掲載された原稿を記載したものである。


22年前のヨタ8で 20.33km/Lの新記録樹立ギネスブックイギリス1周燃費記録挑戦記

時々CGにも登場する熊本のエンスー、ドクター宮野は、60年代のスポーツカーとエコノミーランに対する、ふたつの興味を結び付けて、とても面白い挑戦を思い立った。22年も前のトヨタ・スポーツ800で、グレート・ブリテン島1周の燃費記録を更新、ギネスブックに載ろうというのである。そして去る6月10日から16日にかけて、見事それに成功した、以下はその一部始終である。

■22年前のヨタ8で記録に挑戦!

 ギネスブックには様々な記録が収録されているが、一般車によるイギリス(大ブリテン島)1周の記録があるということを知ったのは86年の夏であった。英国のふたりの警官がヴォクスホールのべルモンド1600・(英国版カデット)で大ブリテン島を一周し、燃費の新記録を樹立して、これをギネスブックに申請するという記事を読んだのがきっかけであった。43.34mpgという数字をkm/Lに直してみると、たったの15.34km/Lでしかない。これならば燃費の良い日本の小型車で走れば打ち破れるのではないかと考えたのだが、60年代のトヨタS800、通称ヨタ8を使ったらというアイデアが閃いたのは数日後、不眠症でモンモンとしていた深夜のことであった。

 このアイデアが出てきたのにはいろいろ下地がある。81年の夏に西ドイツのホンダS800クラブ会長のミハエル・オルトマンと知り合って以来、60年代の日本のスポーツカーに興味があった。60年代に全部で25台がヨーロッパに輸出されたトヨタ2000GTの行方を追ってみた時に、西ドイツで2台を発見することができたのだが、偶然にもトヨタのディーラーを営むその1台のオーナーが2000GTと共にLHDのS800を所有しており、ヨタ8がヨーロッパではわずか数台しか存在していないのを知った。

 それと、燃費に関しては毎年鈴鹿で行なわれているマイレッジマラソンに筆者自身がタイア供給という形で係わってきたのである。84年にシルヴァーストーンの大会で1341km/Lという世界記録を出した英国フォードのUFO-2にコンチネンタルの特殊タイアが使われていることを知り、これを鈴鹿のマイレッジマラソンの有力チームに供給してみたらと考え、コンチネンタル社にケブラーウォールのタイアを作ってもらい、それを85年から鈴鹿のチーム1200に供給して3年連続優勝という結果を得たというわけである。

 そこでヨタ8でギネスブックの記録に挑戦しようじゃないかという話を国際電話でミハエルに話し、「そりゃあおもしろい、一緒にやろう」という話がまとまってヨタ8を探し始めた。久留米の佐藤さんという友人が以前所有していて、福岡で車検が切れて4年以上限った状態にあり、安く売ってもよいという車のあることがわかり、現在のオーナーを訪ねた。屋根だけは掛けてあったが、吹き曝しの場所に置かれていたブルーメタのヨタ8は腐蝕が激しく、エンジンルームも酷い状態で、値段は安くとも生き返らせるのは不可能とも思われた。しかし、そのヨタ8が眠っている場所からほど近い所にある、古い車を専門に扱うヴィンテージというショップで加藤君という知り合いが修行していて、そこのオーナーの後藤さんに相談してみると、どうせフルレストアするのなら徹底的に板金作業すれば同じとのこと。後藤さんに下見をしてもらった上で買い取ってヴィンテージでレストアを開始することになった。これが87年4月末である。この時点では9月に挑戦というスケジュールを立てていたのだったが、塗装を剥いてみると予想以上に腐りがひどく、フロアは穴がいくつも開いていて完全に作り直す必要があった。フェンダーやサイドシルの部分の腐りもひどい物で、これを買ったことを後悔したものだがもう後には引けなかった。幸いエンジンやミッション等の機械部分には問題がなく、エンジンは開けてカーボンの除去とピストンリングの交換だけで生き返った。板金作業に時間がかかり、スケジュールは遅れに遅れたが、木村板金の木村さんが念入りな仕事をしてくれ、7月に入ると全塗装も済み、エンジンや足固りの組み付けが始まった。2気筒とは思えぬほどにスムーズにエンジンが回った時には、やっと先が見えた感じがしたものである、

■スターレットDも加えて2台

 日本でのギネスブックの窓口、ギネス・スーパーラティブ'ジャパン(GSLジャパン)に日本語版には掲載されていないエコノミードライブ・ラウンド・ブリテンに関するレギュレーションの間い合わせを行なったところ、イギリスからレギュレーションと新しい記録が載った87年度の英語版のコピーが送られてきた。

 それによると、新しい記録としてガソリンエンジンのオースチン・ミニメトロ1.3Lが18.73km/Lとして載っており、巻末のストッププレスにプジョー205GRDが22.79km/Lの記録を出したと載っていた。最低3人のドライバーで120〜180時間でギネスの指定したコースを走ることが義務づけられており、そのリストというのがタイプ用紙5枚に印刷されており、起点となるブライトンからミシュランの地図の上をたどって1周するだけで3時間もかかってしまった。コタ8は2シーターであるから3人となるともう1台サポートカーを走らせなければならない。それならいっそスターレット・ディーゼルも一緒に走らせて、ガソリンとディーゼルエンジンの記録をまとめて作ってしまおうかという発想が再び、不眠症の夜に閃いたのであった。調べてみるとスターレットのディーゼルはイギリスでは販売されておらず、トヨタ・ドイッチュラントから借りられることがわかった。スターレットならノントラブルで走って当り前だが、ヨタ8ならば冒険の匂いがしてくる。スペアパーツやサポートも不備だが、とにかく壊れないので有名なトヨタを信じてやるっきゃないのだ。ヨタ8の新しいボディカラーは目立つことを一番に考えてキャメルイエローに決めた。

 その新品みたいにきれいになったヨタ8が加藤君の運転で熊本まで自走して来たのが7月20日の夜である。そしてこれから面倒な輸出手続きが始まった。シャシーナンバーUP-11526の1966年製のコタ8は、中古車であるから輸出車検というのをパスした上で通産局の輸出認可を受けなければならなかった。通常の車検より難しい輸出車検をパスさせるのに、約2週間を必要とした。

 仮ナンバーを付けたヨタ8で、主に交通量の少ない夜間に走行テストを繰り返したのであるが、距離計を補正して出した値は23.4〜26.0km/Lというこれまでの記録を上回るものであった。ところがレヴカウンターとスピードメーターの関係がおかしいのに気づいた。100km/hで4000rpmも回っているのである。2Uエンジンのレヴリミットは5500rpmなので、これでは最高速の155km/hは出せない。それにエンジンが790・とは思えぬほどにトルクがある感じがするのである。そこで東京のオーナースクラブに連絡をとってみると、1:3.3の標準のデフではなく3.85のパプリカのデフが使われているのではないかという推論であった。ところが、東京から3.3のデフを送ってもらっても船積みの日には間に合わないのである。そこで、8月に西ドイツヘ行く時に手荷物として持って行くことにした。とにかくこのテフに交換すれば、さらに3〜4km/Lは向上するであろう。門司で8月4日に船積みするために前夜加藤君と里美君にコタ8と荷物を頼んで送り出し、これでやっと一息づけたという感じであった。

 8月11日より盆休みの前後にやりくりをつけて西ドイツヘ飛んだ。目的はミハエルとスケジュールを打ち合わせるのとトヨタ・ドイッチュラントに協力を要請することであった。12・ものヨタ8のデフを手荷物で持って行くという羽目になったのだが、F1のエンジンを手荷物で運んだという、かつてのホンダの技術者の仕事を考えると楽なものかもしれない。重たいだけでなく、搭乗の際のX線検査で引っ掛かりながらフランクフルト空港まで運んだ。

 ケルンのトヨタ・ドイッチュラントで広報部長のグラスマン氏と会い、このチャレンジのために、スターレット・ディーゼルとサポートカーのカムリ・ワゴンを貸与していただけることは決まった。しかし、ヨタ8のハンブルク到着の日時がわかり、通関に必要な日数等を考えると87年の9月下旬にチャレンジするのは無理だということがハッキリしてきた。10月に入れば特にスコットランドの気候が不順となる。そこで、88年の6月に延期せざるを得なくなった。

 ヨタ8は、コッテンハイムのミハエルの元に届いてから、彼のガレージに余裕がないため、30kmほど離れたニュルブルクリングに併設されたレーシングカー博物館にミハエルのホンダS800やS600レーシングと並べられて展示され、冬を越した。冬を越してから、ミハエルはヨタ8を博物館か引き出し、テフを分解して調べてみた。結果は、このヨタ8に付いていたのはオプションの3.56の低いレシオのもので、現在ヨタ8オーナーの間ては垂涎のアイテムであるということがわかった。昨年8月に持っていった3.3のデフに交換した結果、エンジンの回転数を低めることができた。

 頻繁にミハエルと国際電話や手紙をやりとりしながら、準備を進めていったが、一番問題なスポンサーの件とドライバーの人選では最後まで悩まされた。一度にガソリンエンジンとディーゼルエンジンの記録に挑戦するには、トヨタS800とスターレット・ディーゼル、それとサポートのカムリ・ワゴンの3台を走らせるのに最低6人のドライバーが必要だったのである。

■22km/L+のテスト結果に自信

 出発直前になって、GSLジャパンから新しい言正録が出たとの連絡が入った。フォード・フィエスタ・ディーゼルが30.16km/Lというショックなものであった。プジョー205GRDの22.79km/Lならば、スターレットとトヨタS800の両方で破ることは可能と考えていたが、30.16km/Lならばこれは難しい。とにかくトヨタS800ではオースチン・ミニ・メトロ1.3Lのガソリンエンジンの記録18.73km/Lを目指し、スターレット・ディーゼルでフィエスタの記録に挑戦してみようということにした。

 5月29日、福岡発ソウル経由のフランクフルト行きの大韓航空で筆者と加藤君のふたりで出発した。実際にヨタ8をバラした加藤君がメカニック兼ドライバーとして参加してくれるのが心強い。30日早朝フランクフルト空港に到着、ミハエルか迎えに来てくれていて、まずコッテンハイムに向かう。コッテンハイムで荷物を整理してから、コブレンツの駅前のホテルに落ち着き、まず眠って時差の調整に努めた。

 翌31日、保険をかけて取得したオーバルナンパーを持ってニュルブルクリングの博物館へ向かう。ナンバーを取り付け、ポルシェ917/20ザウやM1を移動させてヨタ8を外へ引き出す。久し振りにコタ8のシートに座り、エンジンを掛けてドイツの道を走り出した、日本で乗っていたこの車で実際にヨーロッパの道を走ってみると、いよいよ挑戦が近づいてきたとの感慨を覚えた。ヨタ8でニュルブルクリンケやフランクフルト辺りまで足を伸ばし、距離計の補正や燃費データをとった。補正した結果は、アウトバーンを100km/h前後で巡航して22.18km/L、120km/h+αに上げると18.36km/Lであった。

 燃費を向上させる対策として、タイアは転がり抵抗の少ないものを選ぴ、軽量のアルミホイールでバネ下重量の低減を図った。スターレットにはスチールホイールとTOYOのライセンス生産によるメイドインジャパンのコンチTS771が装着されていたが、これを8%は転がり抵抗が少ないというコンチCS21と日本から空輸してもらったコーリンの新製品STRINGSというアルミホイールの組み合わせで1輪当たり13・から10・まで軽量化した。FF用は問題なかったが、FR用のホイールは前輪がオフセットが異なるためにホイールスペーサーがなければ装着できず、残念ながら購入した時に付いていた少し重いホイールを使用した。オイルをエンジン、ギァボックス、テフと全部交換して、フリクションを低減させるフッ素系のマイクロロンを注入した。

 ドライバーの問題は出発直前までもめたが、ミハエルの他に彼の友人で元F3ドライバーのユルゲン、そのまた友人で長距離トラックのドライバーをやっているギュンターの3人のドイツ人、それにイギリスのホンダS800クラブのメンバーであるボブ・ロカムが合流して6人が揃った。6月9日(木)夕方コッテンハイムより出発、まずスターレットに筆者、コタ8に加藤君が乗り、ゆっくりと90〜100km/hでアウトバーンを走り、ケルンからアーヘン、そしてベルギーへと入り、ブリュッセルのサービスエリアで後からギュンターを拾って追い掛けてくるミハエルの運転するカムリ・ワゴンと待ち合わせることになっていた。この時は281.1km走ってスターレットが28.38km/L、ヨタ8が22.93km/Lであった。ほぼ同時に到着したカムリ・ワゴンは180〜200km/hで走って2時間の差を詰めた。しかし、燃費を計算すると6.21km/Lしか走っていない、速い車は時間を節約できるが、支払う代償も大きいのである。

 ベルギーのオステンデから深夜1時のフェリーに乗船した。ドイツ人3人は寝袋を床に広げて眠ってしまったが、こちらは座席であまり深く眠れず、寝不足のままドーバーに到着した。加藤君が乗ったヨタ8がドイツの輸出ナンバーを付けているために税関の職員から不審に思われたが、筆者がギネスブックの記録に挑戦することを説明して納得してもらった。ブライトンに到着してから朝食を摂り、それから筆者は、ブライトン市の観光局や新聞社へ出掛けて担当者と会ったのだが、驚いたことに、ギネスブックのこの記録が、ブライトンを起点と終点にしていることを誰も知らなかったのである。かえってこちらから情報を提供してブライトンの観光振興の一助とならんと協力した次第であった。とにかく22年前のヨタ8でガソリンエンジンの記録を狙うというのはイギリス人の度胆を抜いたようで、いろいろと協力をしていただけることになった。

■ブライトンからブライトンまで

 午後6時半、ブライトンの警察で出発の確認をもらい出発。海岸通りを進んで、最初のガソリンスタンドで満タンにして、No.Oのフユーエルストップのサインをもらう。イギリスの車の流れは結構速く、その流れに乗ってかなりのぺ一スで飛ばす。ドーセット州に入ると道は狭く、山の中のアップダウンのきつい道をナイトラリーのようなぺ一スで走る。本当にこれが指定されたルートなのだろうかと不安になるが、一番前を走るカムリのユルゲンとギュンターのふたりのナビゲーションは正確だった。海岸線にできるだけ近いルートを指定したのだから、きっと平坦なエコランに適した道でもっとコンスタントなスロットルを維持できると考えていたのだが、この予想は全く崩れた。前半2/3はアップダウンが続き、エコランができそうな平坦な道路は後半1/3の南東海岸部だけなのである。頻繁に追い越しをかけ、時には120km/hを越すスピードを出して、とてもエコランとはいえないハイペースだったが、No.1のフューエルストッブではヨタ8が21.11km/L、スターレットが24.96km/Lという燃費だった。ここでタイアの空気圧を1.8から3.0バールに上げ、転がり抵抗の低減を図った。ほとんど徹夜で走り、イギリスの南西端のランズエンド岬に着いたのが朝の8時、まだ全体の1割しか進んでいない。ランズエンドの飛行場で朝食を摂り、コンウォール半島の北岸の古い町を結ぶ田舎道を走る。途中で田舎の警察に寄り、チェックポイントのサインを頼んだ。今回イギリスでは、我々がギネスブックの記録挑戦をやっていると説明すると、とたんに警察でも1ガソリンスタンドでも協力的になってくれた。風光明媚なイギリスの田舎を走るのは楽しいのだが、今回は風景を楽しむ暇がなく、前半はできるだけ飛ばして、タイム・アドバンテージを稼ぎ、後半に流して燃費を稼ぐ方針を立てた。 11日はルマン24時間レースがスタートする日である。ルマンのサルチ・サーキットを24時間で周回する距離とほぼ同じ距離を、我々はイギリス1周で走るのである。

 給油と食事以外の時間は殆ど止まらず、交代でカムリやスターレットの後部で眠る方針でいった。そうしなければ、出発してから120〜180時間という規定の時間内で1周するのは不可能だからだ。しかし、飛ばしている車の申で眠るのは容易ではなく、次第に疲労は蓄積していった。遅い日が落ちる頃、我々は南ウェールズに入った。ところが、ジャーマン・ドライバーが後ろを見ずに飛ばすおかげで、カムリがはぐれてしまった。我々はハンディトーキーも持って采ていない。そこで、コッテンハイムのバーバラに電話連絡を取り合って、我々がいる道を教え、再会できた。こんな時に黄色に塗ったコタ8は目立つので、この色にした思わぬ効果があった。

 12日12時にリバプールのトンネルを通過。その夜にはスコットランドに入った。ラジオのニュースでルマンでジャガーが優勝したことを知る。夏至に近いため、深夜でも緯度の高いスコットランドでは夜空が完全には暗くならない。13日は、ドイツに着いて以来続いていた曇り空が初めて完全に晴れ上がり、スコットランドの大自然の風景を存分に楽しむことができ、今回で最も快適なドライブを楽しめた。フィヨルドの海岸線、氷河に侵蝕された湖や峠をハイペースで走った。短い夏が始まるスコットランドではいろいろな花が一斉に開き、今が最良の時期であった、今回ヨタ8のドライブは70%をミハエルが担当したヨタ8の限界ともいうべきハイペースで、しかもエンジンの回転を合わせてシフトし、古いヨタ8を労りながら鬼神のごときドライブでイギリス1周を成し遂げられるのはミハエル・オルトマン以外にはいなかった。彼は、1日で15時間以上もヨタ8のドライブを続けた。恐るべきコンセントレーションである。心配されたヨタ8の調子だが、エンジンの調子はかえって良くなっている。マイクロロンの効果なのだろうか。

 夕方になると再び厚い雲が空を覆い、風景も荒涼としてきた。14日となり、午前2時我々はイギリスの北端ジョン・オ・グローツ岬にたどり着いた。旅の半分以上は過ぎた。深夜の凍るような寒さの中で記念撮影を済ませ、我々は南下を始めたこれまでのぺ一スを計算すると125時間でゴールしてしまうことになる。すでに充分なタイム・アドバンテージはできた。3人のドイツ人のタフさには呆れてしまうほどであったが、他の3人は体力と気力の限界にきていた。口論も起こったが、とにかく休息を得るためにホテルを探すことに決まった。しかし、空き部屋が見つからず、高速道路のサービスエリアで車中泊ということになった。しかし、翌朝シャワーを浴びることができ、髭も剃ってスッキリした。ここまでの累計の燃費計算で、ヨタ8がメトロの記録を上回るのは間違いなく、スターレットはプジョー205GRDは上回るがフィエスタの記録には居かないことがわかった。我々はラリー用コンピューターも持たず、適切なべ一ス配分ができなかった。あるのは腕時計と福岡の空港で買った1980円のカシオの電卓だけ、スペアパーツもなく、事前のテストドライブもできなかった。Take it easy!これだけで充分さ。気楽に後は流して走ろう。

 15日、ミハエルがコタ8のエンジンが時々ミスファイアを起こすと訴えた、加藤君はプラグをNGKの5HSに交換し、これで調子を取り戻した。夜になり、右側のシビエのヘッドライトのバルブが切れた。ハイビームにすれば両方ともつくのだが、ロービームのままで走っていると、パトロールカーから厳重な警告を受けた。そこでハイビームにしてガムテープで光軸をカットして走ることにした。

■20.33km/Lでついに記録達成

 16日朝、いよいよ今日がゴールである。ロンドンのテムズ河の下を潜るトンネルで大渋滞に巻き込まれたが、あとは比較的車は多いが交通の流れに乗り、海岸線の道をブライトンヘと向かう。午後5時45分ブライトンの観光局前ヘゴール。到着の確認のサインをもらってから、最初給油したガソリンスタンドへ行き、満タンにして最終的な燃費を算出した。5757kmを走り、ヨタ8が282.62Lのハイオクガソリンを消費して20.33km/L、スータ・レット・ディーゼルが244.42Lの軽油を消費して23.55km/Lという記録であった。このプロジェクトを始めるに当たり、予定した成績は挙げられた。フォード・フィエスタ・ディーゼルによる30.16km/Lという記録は破れなかったが、ヨタ8はガソリンエンジンの新記録、スターレットもディーゼルでは歴代2位の記録である。

 フィエスタ・ディーゼルの記録は破れなかったが、1年前ならスターレットも新記録であった、記録とはこういうものである。しかし、22年前のトヨタS800で、現代のオースチン・ミニメトロが作った記録を破れるのではないかという筆者のアイデアが正しかったことは実証された。これが一番の喜びである。筆者は、このエコノミードライブ・ラウンド・ブリテンの記録がもっと世に知られ、挑戦者が次々に現われて欲しいと思う。我々がトヨタS800で作った記録が破られるのならそれもよい。もっと排気量の小さいN360やメッサーシュミットKR175で破れるかもしれない。しかし、180時間以内に1周するのは容易ではない。

 スターレット・ディーゼルは、予想どおりノントラブルで走り切った。わがヨタ8は、完走はできたが、激しいドライブで足固りの古いブッシュやジョイントにガタが来ており、ブレーキもシリンダーがおかしくなって効きが悪くなっていた。しかし、エンジンだけは快調に回り続けていた。

 チャレンジが終わった後、ユルゲンがこう言った。「なあシゲル、来年もう一度やろうじゃないか。日本でスポンサーを見つけてこいよ。俺とギュンターでドライバーは揃えるからさ。俺達には走った経験がある、次にはチームをもっとうまく編成してさ。シゲルがジェネラル・マネジャーやって、俺達がドライバー兼ロードマネジャーやるよ。サポートもうまくやってコンピューターでぺ一ス配分すりゃきっとフィエスタの記録も破れるさ」しかし、もう一回3週間の暇を作り出すのは筆者にとっては記録挑戦より難しいことなのである。

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