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ギネスに挑め
シビックでイギリス1周低燃費記録に挑戦
■再度挑戦
CG88年9月号の、"トヨタS800でギネスブック・イギリス1周低燃費記録に挑戦"という記事を覚えておいでだろうか。88年6月に、日本人2名・ドイツ人3名・イギリス人1名の合計6名からなる国際チームでこの記録に挑戦した時、われわれは、名無しのチームだった。あの時は、トヨタS800という60年代のスポーツカーで、現代の車オースティン・ミニ・メトロ1.3Lが86年に作った18.73km/Lというガソリンエンジン記録に挑戦してみようというのがテーマであった。つまり、トヨタS800でやったほうが、現代の日本車を使って挑戦するよりもドラマチックで冒険の匂いがするじゃないかというわけだった。挑戦の結果をギネスブックに申請書として出す際に、チーム名をどうするかということになり、常識から外れたことを考えて実行したという意味で、「マッド・サイエンティスト&クレイジー・カイズ」というチーム名を考え出した。SFマンガのバットマンやスーパーマンに出てくる悪役科学者というノリである私の本業は、熊本市という地方都市で「内科小児科」のクリニックを営む開業医である。副業のモータージャーナリストとしてクラシックカー関係の記事を書いたりしているが、燃費という世界では、マイレッジ・マラソンにもタイア供給という形で関わったこともある。88年にシルヴァーストーン・サーキットで2269km/Lという世界記録を作ったホンダの"チーム1200''のマシーンに使われたコンチネンタル社製のタイアを供給するということもやった。東京モーターショーで、マクラーレン・ホンダF1と並んでホンダのブースに展示きれたあのマシーンのことである。燃費に関しては、熊本という地方にいてもこれだけのことにコミットできたのである。
■今度はシビックで
そんなことをやっているうちに、地球温暖化の問題やエコロジーという問題で、燃費を改善することが自動車産業が取り組むべき大きなテーマとなってきた。昨年の東京モーターショーで発表された多くのコンセプトカーには、省燃費をテーマとしたテクノロジーが披露されていたホンダから発表された希薄燃焼エンジンのVTEC-Eを積んだETiは、60km/hでの定速燃費が37km/2とトヨタS800の31km/Lを上回るカタログデータだったので、このシビックETiならば、トヨタS800での20.33km/Lという自己記録を更新できるのではないかと即座に思いついたのである。なぜ日本の軽自動車を記録挑戦に使わないのかと不思議に思う読者の方もおられるだろうしかし実際は現在の軽の規格のボディには660ccという小排気量のエンジンではトルクが小さすぎて実用性のためにギアリングが低くされており、したがってエンジンの回転を上げて走らなければならないので、実際の燃費はリッターカー・クラスの車のほうが良いのだ。要するに、燃費のためには、ボディとエンジンのバランスが重要なのだ。ガソリンエンジンと比べると、ディーゼルエンジンのほうが熱効率が良く、燃費では有利だが、排出ガス中のNOxが多く、微細粉塵(パーティキュレート)の問題は依然解決されていない。したがって、環境のためには、ガソリンエンジンの燃費を改善させることが必要であるそこで、登場してきたVTEC-Eというエンジンに注目しだというわけだ。ギネスブックに問い合わせの手紙を出すと、現在の総合記録は、ダイハツ・シャレード・ディーゼルが91年に出した103.01mpgであるという返事が来た。換算すると36。54km/Lである。88年に挑戦した時に目標としたのが、プジョー205GRDによる総合記録の22.79km/Lだったこのディーゼルの記録を破るのに、スターレット・ディーゼルを走らせて、23.55km/Lという結果を出したが、記録挑戦の直前に出たフォード・フィエスタ・ディーゼルの30。16km/Lという新記録は破れず、涙を飲んだ。ギネスブックの記録に挑戦して新記録を樹立しても「だから何なんだ」というものが多いが、このイギリス1周の燃費記録は、燃費改善のテクノロジーを実証する格好の指標になるだろう。もしかしたらギネスブックの中で最も意義のある記録だといえるかもしれない。実際に新軍のETiをテストしてみて、馴らしも終えていないエンジンで21km/L台が出た。後は、イギリスまで行って走りさえすれば、シビックETiでガソリンエンジンの新記録を作るのは、簡単なことだ。
■ワールドチャンピオンがパートナー
次は戦略を考える番である。そこで私は、ニュジーランドへ電話をかけた。「デニー、来年の5月のモナコGPの後、ギネスブックのイギリス1周低燃費記録に挑戦しないか。今まで石油を浪費しながらレースしてきたんだから、罪滅ぼしたと思ってチームに加わっていっしょに挑戦してみないか、モナコGPにだって行けるじゃないか」と誘ったのである。電話の相手は、「熊のデニ公」こと1967年のF1チャンピオンのニュージーランド人、デニス・ハルムである。熊本市の開業医である私が、なぜ元F1チャンピオンとファーストネームで呼び合うほどの仲なのかを説明すると、第1次チームでいっしょに走ったドイツ・ホンダS800クラブ会長のミハエル・オルトマンが85年の冬にイギリスで発掘したホンダS600レーシングが、64年9月のニュルブルクリング500kmレースにデニス・ハルムが乗って総合13位、1000・以下のGTクラスで優勝した車そのものであることを私が証明し、ニュージーランドヘ手紙を書いたのがそもそものきっかけだった。ブラバム・チームの見習いドライバー兼メカニックだったデニス・ハルムが、このクラス優勝でジャック・ブラバムに認められ、翌65年からF1やF2に、そして67年にはF1チャンピオンの座にのほりつめるというチャンスをつかんだ軍だけに25年たってもよく覚えていた。というわけで、89年6月のニュルブルクリンクで行なわれたヒストリックカーレースにこのS600に乗って出てもらったののだ。それ以来の友人関係というわけである。このS600は、ホンダの四輪車として国際的なレースで初の成果を挙げたという歴史的価値のある車であり、デニーはそれをホンダにもたらした男である。さらに66年には、ジャック・ブラバムとデニス・ハルムのふたりが乗るブラバム・ホンダF2が11連勝という快記録を立てた(ブラバム9勝/ハルム2勝)。そのデニーにギネスブック記録というタイトルをホンダの軍で取らせようというのも何かの縁ではないか。とにかく、元チャンピオンというのに少しも偉ぶらず、今回のチャレンジでも安宿に泊まったりハンバーガーを食べながら、私の計画に付き合ってくれたとても気の良い友達なのだ。実は、今回の挑戦計画の動機のひとつは、92年は、彼がワールドチャンピオンを獲得した年の25周年めに当たり、しかも、モナコGPが彼のF1初優勝だったということから、デニーをニュージーランドからモナコヘ引っ張り出したかったからである。彼の25周年は、モナコGPで祝われるべきなのだ。モナコGPが終わってからイギリスヘ渡り、ブライトンから記録挑戦へ出発というタイムスケジュールを組むことにした。67年にデニーがモナコGPで初優勝した時のブラバム・レプコBT20というマシーンをモナコGPの前座でデモランさせようという計画も、実は同時進行していた。だがこちらは、このマシーンのオーナーであるパリのコレクターとコンタクトは取れたものの、走らせるにはレストアが必要とのことで残念ながら断念せざるを得なかった。F1の正式カレンダーが発表され、モナコGPは5月31日と決定した次の6月1日にニースからロンドンヘと飛び、ギネスブックが指定したブライトンから出発ということになる。しかしその翌日の6月2日というのは、ブライトンからわずか40kmほどしか離れていない
グッドウッド・サーキットで死亡したブルース・マクラーレンの命日である。では、この日はメモリアルイベントをやってという悪いクセを起こし、次の3日に出発ということにした。規定の120から180時間を使って走るとなると、10日にゴールというスケジュールになり、かような企画書をまとめた。
■度胸で得たホンダのバックアップ
さて、ホンダをこの計画に巻き込むにはどうすれば良いかと考えていると、川本社長が熊本市を来訪するという情報が入った。11月某日、二輪工場としては世界最大となった熊本製作所のテストコースに東京からジャーナリストを招いてイベントを開き、それに川本社長が顔を出すというのだ。こうなれば頂上作戦。パーティー会場へ押しかけて川本社長に会い、企画書を直接見ていただいた。実は、ブラバム・ホンダF2プロジェクトで65年に出向したのが久米社長。その後を引き継いで、66年に11連勝を成し遂げた時のチーフエンジニアが現社長の川本信彦氏だったのである。つまり、デニーとは同じ釜の飯を食った仲間というわけだ。これで、ホンダからシビックETiを2台無償提供していただけることになった。それも、ホンダUKで発売しているVTEC-Eエンジンを積んだVEiという英国仕様ではなく、同じエンジンながらファイナルギア比が15%高い日本仕様のETiの広報車を2台、船で送っていただけることになったのだ。このパーティーには、シビックを開発したエンジニアの方々も数名出席されており、いろいろと貴重なお話を聞かせていただけたこの日は、ジャーナリスト対抗燃費競技が行なわれた。熊本製作所を起点に、阿蘇を巡る1周40kmのコースを午前中2名、午後2名のジャーナリストがエコランをやって、4名1チームとして燃費を競ったのだが、最低でも26km/L台、最高では50km/Lを超える記録が出た。高低差が600mもあるコースでこれだけの記録だったので、シビックETiでの新記録達成を確信した。うまくやれば、総合記録に挑戦することも可能だと考えた。あとは、いかに安全に走るかだ。
■前回の失敗を種に綿密な計画を
88年の挑戦の際は、トヨタS800とスターレート・ディーゼルにサポートカーのカムリ・ワゴンの3台を6人で交代しながら運転し、交代でカムリの後部座席で眠ったこのような状態だったので疲労は蓄積し、危険なほどであった。しかも、機材といえば腕時計とカシオの電卓が1台だけ。だからぺ一ス配分もメチャクチャだった。今、思し返せば無謀な挑戦だった。その時得た多くの反省から、今回はもっと安全性と確実性を念頭に戦略を立てた。まず、ETiを2台走らせることにしたこれは、もし1台ならば、事故や違反で捕まれにその時点で失格となるので、保険の意味で2台とした。それに2台ならば良いほうを申請すれば良いということもある。ドライバーは、10〜12名とし、A・Bの2チームに分ける。Aチームは、ブライトンを出発して1000kmを走る。指定コースー上の1000km地点にあるホテルでBチームが待っており、そこでBチームがシビックを引き継ぎ、指定コースをエコランのスピードで走る。Aチームは、そこで1泊して休み、次の日、高速道路を利用して次の1000km地点に移動してBチームを待つ。これを繰り返していけば、休みも取りながら、シビックは、エコランスピードでコンスタントに走り続けられるというわけだ。現地でのホテルの予約やホンダUKとの打ち雀わせ等は、イギリスのホンダS800クラブのメンバーで、会誌REVSの編集をやっているジョン・ハウイに依頼した。ドライバーとしても参加するジョンは、素晴らしい仕事をやってくれて、ホンダUKからサポートカーとしてアコード・エアロデッキを2台借り出してくれたし、シェルUKからガソリンの無償提供を引き出してくれた。シェルUKでは、現在無鉛ガソリンのキャンペーンをやっており、この記録挑戦に賛同してくれることになった。4年前は、触媒付きのカムリ・ワゴンのために無鉛ガソリンを置いてあるスタンドを探さねばならなかったが、今回は、すべてのスタンドに無鉛を意味するグリーンのノズルが付いた無鉛ガソリンが用意されていた。バブル崩壊の余波で、スポンサー集めには苦労させられたが、前回にも援助いただいたテフロン系のオイル添加剤のマイクロロン・ジャパンと新たにコンピューター・ソフトウェアのNCS(日本コンピュウタシステム株式会社)、九州電子技術専門学校のスポンサードが得られた。しかし、それでも赤字なので、メインスポンサーは、宮野内科小児科医院というわけだ。ドライバーも当初12名の予定が予算の都合で9名となった。元F1チャンピオンのデニス・ハルム(55歳ニュージーランド)、ジョン・ハウイ(50歳イギリス)、ボブ・ロカム(46歳イギリス)、ミハエル・オルトマン(45歳ドイツ)、吉田純治(41歳)、宮野滋(39歳)、西茂雄(32歳)、加藤文之(28歳)、里見圭一(24歳)という9名が、6月2日、チチェスターのホテルに顔を揃えた。この9名が、MASAYA一マッド・サイエンティスト&クレイジー・カイズというわけである(MASAYAとはNCSの新ソフトウェアの名前)。ボブ、ミハエル、宮野、加藤が第1回目挑戦の経験者である。平均年齢がかなり高いこのチームは、デニー以外に、プロのドライバーはいない。しかし、普通のドライバーでも事故を起こさず走りさえすればギネスブックの新記録が達成できるというのが、今回の挑戦の重要な意味である。
今回、シビックの到着がギリギリとなり、サザンプトンの税関から引き出してきたのが前日である。赤と青の2台のETiは広報車両として使われていた車で、本当は何も付いていない仕様を希望していたのだが、パワステ、オートエアコン、パワーウィンドー付きという豪華な仕様だった青にはさらに高価なオーディオシステムまで装備されていた。涼しいイギリスでは、除湿以外にはエアコンは必要ないので、駆動するベルトを外そうと試みたが、同じベルトでウォーターポンプも駆動しているので諦めた。軽量のアルミホイールはバネ下重量も軽くできるので燃費の点でも有利と考えていたが、標準の鉄製が付いてきた。ETiに付くダンロップSP23Jという省燃費タイアは、コロガリ抵抗は小さいが、ウェットグリップが劣るので、雨の多いイギリスでは心配された新型のSP9☆を使いたかったが、70タイプがまだなく、標準装着のタイアでというホンダの意向もあって、他の銘柄のタイアを使うことはできなかったわれわれはこのSP23Jの空気圧を3.5barまで上げて使用したが、NVHに関しては問題なかった。新型シビックでは、サスペンション・ストロークが大きく取られ、ボディ剛性が高くなったことも大きいが、165/70というタイアサイズが適切と思われる。
6月3日、チチェスターからブライトンに移動。シェルのスタンドで無鉛レギュラーガソリンを満タンにするこの際、いったん給油口に温れるまで入れてもまだ本当の満タンではなく、ボディに足をかけて揺すってやるとまだ2L以上も入るのだ。満タン法で燃費を計算すると大きな誤差が出る可能性があるしかし、今回のように6000kmも走ると、総合燃費として出てくる値は、誤差を無視できるほどになる。
■いよいよスタート
ロンドン-ブライトン・ランの舞台にもなっている海岸のパレスピア前、ここがスタートの舞台となった。前回は、名無しチームの寂しいスタートだったが、今回は、元チャンピオンの御威光もあり、新聞記者の取材は来るし、ブライトンの女性市長が、ユニオンジャックを振ってスタートのセレモニーをやってくれることになった。
午後3時5分Aチームがスタート。今回、青シビはラリーコンピューターを装備して日本人チームが、赤シビは外人チームが主に担当することになった(青シビ、赤シビなんて昔のCGの長期テストの時みたいな懐かしい言葉ではないか)Aチームは、デニー、ミハエル、宮野、吉田、西Bチームは、ジョン、ボブ、加藤、里見という構成だ英会話のできるできないも、チーム割りの際には問題だ。前回よりも3時間早いスタートとなり、明るいうちに前回暗くて迷ったサザンプトンの町を通過できた。
ギネスブックから送られてきた指定ルートには、国道の数字と町の名前が記入されており、これをたどって行くと海岸線に近いルートでイギリスを1周するのだが、大きな町では、道路標識に常に注意しておかないと迷ってしまうしどんなに注意しても迷ってしまうところもある臼も暮れた11時過ぎ、第1回目の給油を行ない燃費を計算した。ブライトンの起点となるスタンドから360・、赤シビが41.08・/L、青シビが38.50・/Lとダイハツの総合記録をともに超えており、ロンドンの岡田エリ子さんにそれを報告した今回はA・Bチーム間の連絡、およびホンダUKや日本との連絡を取り合うためにロンドン在住の岡田さんに頼んでコントロールセンターの役割をしてもらった。前回、車同士がはぐれた際に、ドイツまで電話して連絡を取り合ったのに懲りたからであるわれわれはドーセット州に入り、前回と同じ田舎道を指定コースをたどりながら進んだ。このセクションは、B3058のようにかなり細い道が指定されており、ミスコースではないかと不安にさせる時もあったが、村へ入って標識を確認し、正しいルートを走っていることを確認する。深夜なので対向車もなく、スピードを一定に保ってエコランできる。しかし、ミスコースすると住人に道を尋ねることができない。こんな時に、装備したJX-555というラリー・コンピューターとアブコマップ・ツイントリップが役に立ったチェックポイントから次のポイントまでの距離を入力すれば曲がり地点に近づくとアラームが鳴るし、平均速度を入力すればどれだけのタイム・アドバンテージがあるかデジタル表示きれ、ぺ一ス配分をどうすればよいかわかるのだ夜が明け、6月4日6時20分、ランズエンド岬に到着。前回と比べてぺ一スを落として走っているので、好燃費が期待できる。コンウオール半島の北側の海岸線を縫って走る道は、指定ルートの申でも風光明媚な道である。かなりのアップダウンがあり、上りは2速に入れてスロットルワークを慎重にして登っていくが、1800rpmを超えないようにレヴカウンターへ目を配りながらの運転が必要である。こんな時のVTEC-Eエンジンの低回転域での粘りは驚異的である。トルクは細いのにストールせずに回ってしまうのだ下りは、3・4・5速でスロットルペダルから足を難して下るとフューエルカットされるので、燃費を稼ぐにはチャンスだが、エンジンブレーキが効きにくいので、ライン取りとフットブレーキの使いかたにテクニックが要るかなり長い下りでブレーキのフェードが起こりそうなところもあり、要注意。後方から観察すると、デニーとミハエルのドライビングの差がわかるデニーはさすがに元ワールドチャンピオン、ドライビングがスムーズだ。ジャーマン・ドライバーのミハエルは驚くほどにタフであり、コンセントレーションを持続できる。
■サポートカーが盗難!
チーム交代のポイントの手前で2回目の給油。699kmを走って赤シビが27.39km/L、青シビが26.96km/Lと振るわない。スタートからの燃費も30.89km/Lと29.76km/Lとなった。これは、燃費に悪いアップダウンの多い区間を走った以外にも、スタートから第1回目の給油までの距離が短く、誤差が出たのではないかと思われるこれからは、給油はできるだけ1000kmの交代ごとに行なって区間燃費を出すことにした。それにしても、燃料計の針が動かないのは驚異的で、300kmほどではFを指したまま、700kmを過ぎても1/2を指す程度で、1000km以上を走り切る異常に長い足を持つ車である。しかも、ドライバビリティーはさほど犠牲になっていない。しかし、これは流れの良いイギリスの道路だからいえるのかもしれない。日本の混んだ道路なら、むしろ英国仕様のVEiの低いファイナルギアを採用したほうがよいかもしれない午後2時45分チーム交代ところがとんでもないことが起きていたサポートカーのアコード・エアロデッキ2台のうちの1台が、昨夜駐車中に盗まれてしまったというのだ。幸い荷物のほとんどはホテルの部屋に入れておいたので無事だったが、きてどうしようホンダUKにすぐ連絡をしたら、代わりのアコードを用意できるというが、ロンドンから運んでくるのを待つ時間やホンダUKの手間を考えて、荷物は何とか1台のラゲージスペースに収め、1台のアコードで行くことにした。ロンドン郊外のブリクストンでもあるまいし、こんな地方でまさか盗まれるとは思いもしなかった。以後、用心して夜間駐車する際は、メインヒューズを抜いておくことにしたひと晩徹夜で運転を続けたのでいささか疲れたが、早めに眠って翌朝はすっきりと目覚めた6月5日、アコード・エアロデッキに荷物を満載し、大柄なデニーとミハエルが前席で運転し、3人の日本人が後席に座ってモーターウェイを北へと向かった。モーターウェイの速度制限は一応70mphだが、それを少し超える速度で巡航してもスタビリティーはとても良い。この車は、made
in USAのHAM製だが、英国仕様では5段マニュアルが標準である。ランカスターに到着してから、ホテルのロビーで待つこと数時間。午後5時運くになってウェールズ地方を回ってきたBチームが到着。燃費をチェックしてみるとかなり悪い。しかも赤シビと青シビで差がありすぎる。ランカスターまでの2200kmで見ると、合計が80.75Lと80.74Lとほぼ同じになった。結局、ボディを揺すって入れなかったのが原因だった。総合燃費は27.38km/Lと26.55km/Lに低下した。ウェールズ地方は、かなりアップダウンがきつかったそうだ。
Aチームが、シビックを引き継ぎ、さらに北へと向かいスコットランドヘと入った。夏至に近く緯度が高いので夜遅くまで明るいのはありがたい。夜になると日本仕様のヘッドライトでは光量がやや不足する感じがする日本仕様のヘッドライトのレンズはプラスチック製だが、英国仕様ではガラスだそうで、もっと光量の大きいバルブが使えるとのことだ。この区間は、かなりクネクネした田舎道が多く、エコランには不向きである。後半の東海岸に期待しよう。
6月6日午前10時、予定より早目に目的地のダンバートンに到着。840kmを走って、赤シビが31.64Lで26.34km/L、青シビが36.20Lで23.29km/Lという結果だった。ここでBチームを待つ間、ツーリスト・インフォメーションに入ってチェックポイントのサインをもらうと、この町はジャッキー・スチュワートの故郷だと知らされたロンドンの岡田さんへ連絡到着したことと、Bチームにも急いでダンバートンヘ向かうように伝えてほしいと頼んだ。今夜は、ここでAチームが宿泊する予定だったが、変更して、次の交代のポイントであ
るインヴァネスまで行って泊まることにする。インヴァネスに連絡。週末で変更は難しかったが、民宿が取れた。Bチームが到着。マクドナルドで昼食をとり、午後2時Bチームは、北端のジョナグローツ岬を目指して出発。我々Aチームは、インヴァネスまで走ることにする。
スコットランドでも天気に恵まれ、本当についていた。スコットランドの風景は力強く、雄大だった。デニーは、運転しながらニュージーランドの南島に似た風景だと言った。元ワールドチャンピオとは最高のショファーではないか。有名なネス湖の横を通過。細長いこの湖をバックに記念撮影。インヴァネスに到着、B&Bと呼ばれる民宿に落ち着いた。夜はレストランでアンガス牛のステーを注文。ところが肉の量がオンスで表示されてたので、わけもわからず16オンスと注文したらデニーの拳より大きな肉塊が出てきた。驚いたが意地で最後までたいらげてしまった。
■前回と同じ警察で……
6月7日朝、ロンドンに電話すると、スコットランドを回ったBチームがはぐれたとの連絡が入り、その後に落ち合ったとの連絡があったそうだ。ジョンより連絡またはぐれたとのこと。このまインヴァネスに向かって、宿で青シビを待とういうことになった。赤シビが到着後、青シビより電話が入り、インヴァネスに到着したが、宿の場所がわからないとのことで、アコードで拾いに行った。Bチームの話を聞くと、エコランに徹しようとする青シビとマイペースの赤シビのぺ一フ合わず、二度もはぐれてしまったという。北部スコットランドのドライブは話題が豊富だった。まず、午後6時を過ぎるとほとんどのガソリンスタンドが閉まってしまい、開いているシェルのスタンドを指定ルート上に見つけるのは困難だった人口が少ないので、チェックポイントとしてサインをもらう人間にもあまり会えなくて、ジョナグローツの近くで旅行していたフランス人からサインをもらった。夜になるとアスファルトの上が暖かいので子羊たちが道路上で寝ていて礫きそうになったとか青シビは危うく飛び出してきた大きな鹿とぷつかりそうになったという。もっとも、釣り好きな彼らはリタイアしてスコットランドの湖や川で好きな釣りを楽しみたかったのかもしれない。インヴァネスで給油すると、1100km弱を走っ赤シビは42.20Lとガス欠寸前で25.98km/L、青シビは38.61Lで28.26km/L。これで、スタートから26.15km/Lと26.20km/Lで青シビの逆転となっ午後1時42分、Aチーム出発。これからが燃費を稼げる比較的フラットなコースが始まる。午後4時半、霧が出てきた。午後9時40分、ゴルフで有名なセント・アンドリュースの町に入った。ここで夕食。騒がしいパブでハンバーガーしかない。ス夕一トしてすぐミハエルが止まった。警察でチックポイントのサインをもらってこいという。そういえば4年前にも同じ警察署でサインをもらったはずだ。中に入って事情を話し、サインをもらってさあ出発。霧がすごく濃くなってきた。でも路面は良好。5速で1200〜1500rpmに保ってエコランの記録を伸ばせ。
6月8日午前8時47分、スカーボロウの町へ到着。港のコーヒーショップで朝食をとる。サイモン&ガーファンクルの「スカーボロウ・フェア」という曲を思い出した。海老やカキを売っている露店でゆでた海老を買って食べる。ドイツの内陸部育ちのミハエルは海産物はダメのようで、顔をしかめながら見ていた。交代予定地のサンダーランドは6時前に通過した。ミハエルは、もっと先まで進んでそこでBチームと落ち合おうと主張した。スカーボロウからインヴァネスヘ電話してジョンを起こし、計画変更を伝えた。ロンドンと連絡を取り合って落ち合う場所を決めることにした。こんなことが起きるから、岡田さんに連絡係を頼んでおいてよかったのだ。インヴァネスから南下してくるのにも、高速道はスコットランドの北部まで伸びていない。一般道を400kmも走って高速道に乗り、それからスピードを上げて走ってこなければならないのだ。もっと南へ行こうとするミハエルを止め、高速道が伸びてきているキングストン・アポン・ハルで宿を探すことにした。ホテルを見つけて、場所をロンドンへ連絡。給油して燃費を計算。1000km+を走って赤シビが32.00Lで33.06km/L、青シビが30.43Lで34.66km/Lという好結果だった。
待つこと7時間、ようやくBチームが到着。彼らも1000km近くを走って疲れており、この先で泊まって、翌朝からエコランをやって夕刻までにロンドン近くのサウスエンドに到着するように指示した。疲労で事故を起こしては、何のためにここまでやったのかということになる。とにかく明日は時間調節のために余裕を持たせてあるサウスエンドで両チームが揃って泊まり、最後の10日はブライトンまで一緒に走ってゴールするという予定を組んである。
6月9日、ハルを出発。高速道を使って南下、簡単にサウスエンドに到着した。途中ホンダUKへ電話すると、盗まれたアコード・エアロデッキはロンドンで発見されたが、室内は荒らされ、高価なオーディオ機器は取り外され、何も残っていなかったそうだ。ステアリング・ロックを壊した手口からすると、プロの仕業らしい。ホテルは最悪。元チャンピオンのデニーを泊めるには心苦しいほどの安宿だったが、心配するなどデニーは言ってくれた。日が暮れかかるころBチームが到着。皆揃っての最後のディナーだからと、イタリア人が経営するレストランでワインをあけて労をねぎらった(イギリスでは、イギリス人の経営するレストランではうまい料理は期待できない)。
■最後になって焦るだが新記録速成!
6月10日、最後の朝、揃って出発。すぐ近くのホンダ'ディーラーに寄り、ここでホンダUKが用意したカメラマンが来て記念撮影。ここから最後のブライトンまでは日本人メンバーだけで走ることになった。ブライトンで別れた後にデニーの足となる車をホンダUKに借りに行く必要があり、ボブも自宅に帰って自分の車を取ってくるという。さてこれで最後のドライブ、しかし、ホンダ・ディーラーを出発してからの交通の流れがよくない。ブライトン到着は午後4時半の予定で、その時間に忙しい市長に出迎えてもらう約束になっているのだ。気が焦ってくる。サウスエンドではなく、もっとブライトンに近い場所に最終宿泊地を設定すればよかったのにと後悔した。こんな時に限って、ちょっとした町の中で道を見失って時間を無駄にしてしまい、焦りが増してくる。そして最後の2時間というところで雨が降り始めた。今回の挑戦ドライブで初めての雨である。しかも、かなりの雨足だ。途中、低空飛行をしていたカモメを礫いてしまった。ウェットゲリップの低いSP23Jの欠点がもろに出てタイアが滑る。よりによって時間が迫っているのにこの雨だ。地図と時計をにらみ、走っているうちにゴール。午後4時42分、合計169時間37分、120〜180時間で1周という規定の時間を有効に使えたぺ一ス配分であった。少し遅れて市長が到着。ゴールの証明書にサインをもらう。それから出発したシェルのスタンドまで戻り、ボディを揺すりながらゆっくりと満タンにして計算する。赤シビの区間燃費は33.36km/L、青シビは32.97km/L。これでスタートからの総燃費を計算すると、赤シビが6052kmを走って合計216.85Lを消費して27.91km/L、青シビが6075kmを走って合計21.52Lを消費して27.93km/Lと、わずかな差で青シビが新記録ということになった。走行距離の差はメーターの誤差範囲である。驚いたことに、これだけの距離を走ってエグゾーストパイプの口はきれいだった。完全燃焼の証であろう。
■記録は破られるためにある
さてこれで無事に挑戦も終わった。チーム全員にベストを尽くしてくれたことを感謝したい。新記録を達成して皆で喜んでいるというのに、頭の中では次回の挑戦プログラムを考えていた。省燃費テクノロジーの成果をギネスブックの記録として実証するという今回の挑戦のテーマは達成できた前回のトヨタS800と比べて車重も車体の前面投影面積×CD値で表わされる空気抵抗も大きいシビックで、それを大きく上回る成績を出せたのは、テクノロジーの成果である。6月3日から14日まで、ブラジルのリオデジャネイロで開かれた地球環境サミットに合わせてチャレンジしたわれわれのメッセージが、世界中の自動車メーカーに届いて、この記録に挑戦してほしいと願っている。この記録は、今から破られるために存在する。ぜひ挑戦してほしい。破られたら、われわれももう一度挑戦して、さらに良い記録を出してみせる。このリポートの中にいくつかのノウハウを書いておいた。これを読んだCGの読者が挑戦してみたいと思えばぜひ実行して欲しい。今回のドライバーは、デニス・ハルムを除けば、シロウトに毛の生えた程度のドライバーでしかない。自分でいうのも何だが、自分はヘタなドライバーと自覚していても、アイディアとあとは実行する努力で、ギネスブックの記録保持者になれるのである。
6月4日、運輸省と通産省は、2000年までに10・15モードで平均8.5%の燃費改善を求める新燃費基準を策定した。自動車メーカーは難色を示しているようだが、われわれはそれを上回る改善が可能だということを実証している。シビックのVTEC-Eは、ホンダが70年代に発表したCVCCと同じように、まだ第一世代の技術であろう。ホンダがフルモデルチェンジするシティにはもっと好燃費のVTEC-Eエンジンが積まれるという。次回はこれで再挑戦してみたいと誌面を借りて申し上げておく。各社から、今世紀中に次々と省燃費に関する新技術が実用化され、70年代に排出ガス問題に真剣に取り組ノしでそれを克服したように、90年代の省燃費の問題にも自動車台杜各社の競争で克服できるだろう。いややらなければならない。地球全体が生き残るための努力なのだ。今世紀中にイギリス1周の低燃費記録は、ディーゼルエンジンで50km/L、ガソリンエンジンで40km/Lを超えるところまで更新されるだろうと私は予測している。今回の挑戦でいくつもの反省点が出できたし、ちょうどレースをやっているようにノウハウやデータの蓄積ができた。チーム「マッド・サイエンティスト&クレイジー・カイズ」は、この分野においてはトップチームであり続けたい。次回の挑戦では、ドライバーの数はもう少し増やす予定だ。それに選ばれたら、あなたもギネスブックの記録保持者になれるかもしれないというわけだ。
(report= 宮野 滋<プロジェクト・マッドサイエンス>)
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